たい焼きのしっぽのおこげ
元旦の夜、6歳になったばかりの娘に帰宅途中の京橋駅で、たい焼きを買って欲しいとせがまれた。
なんだか洒落たたい焼き屋さんだ。
しかし、ひとつ250円もする。
ちっさい頃は、たい焼きは市場で売っていて値段も50円くらいと相場が決まっていた。 皮は普通のしんなりした茶色の小麦粉で作ったコゲのあるやつだ。
当然、あんは黒あんしかなかった。 母親に市場の買い物へついて行った帰り、くっつきそうなお腹の隙間に束の間の満足感を泳がせた。
小学校に上がった頃だろうか? 『およげ!たいやきくん』が大ヒットした。 ♬まいにち まいにち ぼくらはてっぱんの うえで やかれて いやになっちゃうよ あるあさ ぼくは みせのおじさんと けんかして うみに にげこんだのさ♬
そのとき、はじめてたい焼きの赤裸々な本音を知った。 たい焼きは、鉄板の上で焼かれて人に食べられるのは嫌だったんだ! 衝撃の事実だった。
たい焼きがいやいや毎日を過ごしていたなんて…。
海へ逃げ出して、サメに時折イジメられながらも海の中を自由に満喫したたい焼きくんは結局、おじさんに釣り上げられる。
本来の宿命として、おいしく食べられることになる。
しばらくして、このたい焼きの悲劇を伝えるヒット曲が聞かれなくなったが、それでもぼくはたい焼きを口にすることはなくなっていた。
ビール会社の営業マンとなって、現場を駈けずり回りだしたころ、『ベティーのマヨネーズ』というニューハーフショーで有名なショーパブを担当することになった。
当然、時にはお店にも顔を出すのだが、はじめて男でも女でもないキレイな人たちを見た。 ショーは華やかで、輝いていた。
おもしろくもおそろしいほどきれいだった。
そんな中、ショーを見てるといつもぼくにオムツやカツラを投げてくる、イロモノがいた。 「あんこさん」だった。
きれいな人びとが輝きパフォーマンスを発揮するなか、いつもひとりだけカツラをかふわり、ただのおじさん風の姿で客をいじりながら、笑いをとっている。
ビールの営業を終えて、数軒店をはしごした後、たまにふらりと立ち寄る餃子屋さんがあった。
おいしいひとくち餃子が有名でビールもおいしかった。
店主さんも優しく、店に入ると「ご苦労さん!」とうちのビールを出してくれた。
お店に通ううち、時折餃子をレモンチューハイでひたすら流し込む物静かな常連らしきおじさんとかち合うことがあった。
店主相手に愚痴をこぼすぼくとは対照的に何も語らず、ただただおじいさんのようにちょっと猫背になりながら、水飲み鳥みたく機械的に箸を持ち上げては、チューハイグラスを傾けていた。
突然、そのミナミの餃子屋さんが店を閉めることになった。移転のためだった。
最終営業日、お礼を言いにお店へおじゃました。
店主が「おまえもがんばれよ!おれもがんばるから!」と最後に励ましてくれた。
「ついでに今なら言ってもいいかな?あのよくいた常連さん、ベティーのあんこさんだから‼︎」と知らされた。
いやいや食べられるたい焼きくんと華やかな店をイロモノで盛り上げながら、帰り無言でレモンチューハイを飲む「あんこさん」の姿がそのとき重なった。
今でもたい焼きを食べたら、甘い黒あんの味の合間におこげのほろ苦さを感じる。
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